死ななきゃOK

死んだ方がいい、死にたくない、いろいろあるかもしれんけど、とりあえず、死ななきゃOK。っていつも言えたらなぁ・・・

2014.01.16 01:01
 こんばんわわわわわー。
 そろそろネタが尽きてきたtkiyotoですよ。みなさんいかがお過ごしでしょうか。

 さて、以前から「やるやる詐欺」をしてきたFacebookですが、ついに始めましたよ。
 先日行われた同窓会で、「やりなよー」という声をいただいたので・・・。


 しかしあれですよね、ブログとFacebook、どうしていくか考えながら結局答えが決まらないままFacebookを始めてしまいましたが、ブログはどうしていきましょうかねぇ?
 これまで偽名でやってきたのに、いきなり実名にするのも変だしねぇ。


 ま、とりあえず現状通り分けて書いて言って、あれなら考えるっていう、極めて日本企業的になっているんだろうなぁ。
web拍手 by FC2
2013.12.18 00:28
 こんばんみ。
 相変わらず仕事をしまくっているtkiyotoですよ。皆さんいかがお過ごしでしょうか。

 毎日毎日、「仕事をしすぎた」「その割に給料に反映されない」とため息をつく日々ですが、しかしあれですよね、今の自分は、今の自分が望んだ現状になっていることが現実としてはあるんですよね。

 たとえば、「仕事は常に認められるし、周りから頼りにされる」割に固定給だから給料には全く反映されない・・・と思っていたとしても、逆に「仕事で認められないとか頼られないのは嫌」という自分がいてそうなっているわけで、実際にそういう状態になってしまったらとっても不幸ですよね。たとえ給料が良くても。

 そんなわけで、自分が望む人生を生きていると言えば生きているのが人間というわけで、悪いところばかりに目が行きがちだけれど、その悪く見えるようなところも、実はある種の必然であり、それが自分のためになっているという側面があることも決して忘れてはいけないんですよね。


 逆説的に考えるならば、状況を変えたいのならば、自分の行動、その大本の意識から変える必要があるというのはもっともなことで、自分に望むものだけを「on」していくような都合のいい考え方がまかり通らないのもまた、必然なんですよね。

 よくいるじゃないですか、結婚したからと言って配偶者に自分の権利ばかりを押しつけても平然としている人。
 そういう人も発想は、自分という人間が正しさの中心であるという想いから「on」の発想になって、それを積み重ねて行くことでより、相手の立場に立てなくなっていき、自我を強化するあまり、どんどんと精神的な孤立に追い込まれて、たとえばある日突然離婚される・・・なんてこともあるので、物事に対して謙虚な気持ちになることで、自分のしていることを素直に「認められる」ようになる・・・という心持ちも大事だね、と風呂でホッと一息ついたときに思ったりしました。

 皆さんも、思考が堅くなりがちな冬こそ、お風呂に入りましょうね。
web拍手 by FC2
2013.12.14 02:29
 こんばんおひさしブリーフのtkiyotoですよ。みなさんいかがお過ごしでしょうか。

 おひさしブリーフと言えばダンディ坂野が映画『SPEC』で特殊能力を披露して大活躍(?)でしたね。ええ、ダンディ坂野というキャラクターに見合った・・・ですが。

 さて、最近の私。
 Facebookというものを登録してみたはいいんですが、ブログもあってFacebookも・・・というのもなかなか使い分けが難しいような気がして、どっちになに書こうなどと考え込んでいたら今日に至った、というわけです。

 まぁ、だからといって答えは出てはいないんですが、一つにまとめることはせず、ブログは個人的な想いを、Facebookは社会的な立場に立って書く・・・ものかなぁと漠然と考えているわけです。

 というのも、Facebookを始めようかなと思ったきっかけとしては、やたらと若い人に「普段何してるんですか?」と聞かれることが多いので、おそらく謎が多く写っているんだろうなぁ、でもあんまり上手く伝えられんしなぁ、と考えて、だったら文章で表現できるもので「私、こうしてます!」とか言えた方がいいかなと、割とフツーに考えてみたわけですよ。
 まぁ、家帰っても仕事してるってだけな気もしますが・・・。

 あともう一つは、毎日の中で若い人の仕事を見ていて「なんか残念」「ここをもうちょっとこうしたらいいのに」とかをアドバイスすることが多いんですが、そういうのって割と共通していることだし、たとえば私が死んだとして、その時に伝え漏れしているのもなんだかもったいないという気もしたので、そういうのを残しておくのも大事かなぁと。別に自分がすべてにおいて優れているとも思わないけど、ここは言っておかないとなぁ〜というところを。


 まぁ、ブログもFacebookも積極的に売り込みの道具として使う人ももちろんいますけれど、プロブロガーの本を読んでこりゃ真似できんなと思ったりもしますし、Facebookで仕事のやり方なんぞをまとめたとしても、行き着くのはちまたにあふれるハウツー本みたいなものになる気もするので、それもやる意味あるんかなぁという気もするので、いまいち遅々として進んでいないわけで、あります。うん。

 でも、個人的な直感として、かれこれホームページ時代からブログと継続(という割に頻度があれですが)してきた中で思ったのは、自分から売り込むことをしないとなかなかアクセス数が増えないよねということがありまして、それがイコール自分の現状かと思ったりもしたんですけど、仕事をしていて、別に売り込まなくても、他の人ができないような仕事をしていれば自然と信用がついて回るような形で自分を売る方法の方が自分に合っている気がするんですよね。
 そういうことを考えると、Facebookのような、自分から売り込むよりも周りの人が拡げて・・・くれるのかどうかはわからないんですけど、ブログよりそうしやすいメディアを使うというのも間違いではないのかなと思って、始めてはいないんですけど始めたわけです。

 まぁ、ネットを検索すればブログとFacebook、あとtwitterとの使い分けを解説してくれる人はたくさんいるわけで、そういう先人の知恵を借りながら、ブログとFacebookの見事な両立を・・・できるかどうかやってみないとあれですが、こうやって書きながらそんな、ブログとFacebookの使い分け記事を読んでいると、やっぱりやる方が「いいね!」という気がしました。

 結局、ブログだと、実名でやっていない分、あまり公言すると問題あることもぼかしながら話せたり、「自分であって自分ではない」言わば新しい自分を見つけることもできますが、実名で打っていく力が弱くなりますよね。おそらく、Facebookの最大のメリットとしては、よく言われるような人と人とが「つながる」仕組みをWebで表現した恐ろしくシンプルで巧妙なシステムを使って、Facebookでしかできないようなつながりを構築することができるというところなんでしょうね。


 それにしても、そういうことを考えると、「システム」って本質を捉えない人が作ると崩壊するのもわかるよねと。そこをわかっていないシステム屋さんや経営者も多いけど。
web拍手 by FC2
2013.11.11 00:23
 こんばんはんばんこ。
 ・・・・ということを言っていたマンガが昔あったような気がしますが、とりあえず意味もなく使ってtkiyotoです。みなさん、いかがお過ごしでしょうか。

 さて、タイトルの通り、ナゴヤドームで行われた嵐のコンサートに行ってまいりましたよ。

 でもあれですよね、今年のコンサートツアータイトルが、最近発売されたアルバムと同じ『LOVE』ということで、男が行くのはちょっと恥ずかしい気がしましたが、男の人も来ていましたね。まぁ、想像より少なかったのですが・・・・。

 にしても、女性の多さが、特に若い、若いというか若すぎるというかな女性が多い。さすがそこは嵐だなという感じがしました。一緒に行った嫁曰く、「EXILEのファンはもっと年齢層が高くて垢抜けてて、露出度も高くて、ポロリもある」という事でしたが、嵐のファンはそんなことはまったくなく、健康的でした。じゃっかん、垢抜け感が・・・な気もしましたが、全体的におとなしめな雰囲気がしました。

 昔、警備のアルバイトをしていたときに見た、中指立てる浜崎あゆみのファンとか、場内を汗の水蒸気で埋め尽くすアツいモーニング娘。のファンとかとは違って当然ですが、凄く平和でした。しかも、ペンライトを使ってのダンスを事前におぼえてきてくれぃという、嵐本人の声で振り付けを教えるアニメーションをネットで見てきた人が、完璧に踊っていたりと、日本の平和さの象徴的な場所だと感じました。いや、もちろんいい意味で。

 それにしても、歌って踊って喋って「キャー」って言わせて、「幸せにしちゃう」技術は凄いものがありますよね。嵐は下積みが長かったアイドルグループといわれていますが、それが逆にどっか一辺にとがりすぎるなんてことはなく、なんでもできちゃう感に繋がっているので、凄くバランスがよいライブな感じがしました。
 まぁ「毒がない」という言い方もできてしまいますが、世の中、食品の偽装表示とか毒だらけな気もするので、その中にあって彼らの言動で救われる人もたくさんいるだろうし、元気をもらって帰る人もたくさんいるのもまた、こういったアイドルのライブの効用というか、いいところかなと思います。
 元気に関しては、満員電車に疲れて帰ってきたので、ある意味なくなりましたが。


 それにしても、男子トイレをいくつか潰して女性トイレにしてても開演1時間前なのに女子トイレに1000人くらい並んでるんちゃうの?という状況はどうでしょうね? 男子トイレはガラガラなのにも関わらず。しかも、信じられないことですが、「多目的トイレ(いわゆる車いす等用トイレ)」にも100人以上並んでたんですけど・・・・。
 となりのイオンもトイレに並んでて、男子トイレに潜入する女性が当たり前にいましたが、さすがにドームは男子トイレ前に係員を立たせてそれを防いでいるんですけど、だいたい同じ時間に男子トイレに列ができず個室も空いてる現状を考えると、男のほうは多目的トイレでいいんではないのかな?と思いました。だって、98%くらい女性ですもん。というか、男子トイレの小はそのまま男子に開放して、個室は多目的トイレまで・・・としたらよくないですかねぇ?

 ・・・と同情するくらいひどい状況だったもので。
fc2blog_20131111000835045.jpg

 この方たちは間に合ったんでしょうか??というくらい並んでました。
 もう、男子の小でできるような漏斗GO-GIRLを貸し出したらどうかとさえ思いましたよ(まぁ、そんな嵐のライブは嫌な気がする・・・のは男のエゴかもしれませんが)。


 で、肝心のライブはどうだったのかというと、ドームという室内だからできる「光を使った演出」が凄かったですね。やっぱ、「使える技術を使わない方がおかしい」くらいの派手な演出でした(といってもライブ行かないので、これが今の水準で比較してどうなのかはちょっとわかりませんが)。

 個人的な話では、席が下を見る形になる5階席で、私、身長が高いので、女性ばかりの中で立つのははばかられたので座りながら見てましたよ。通路側ということもありそれでも見られましたからいいんですが、じゃっかん浮いてるのか? それとも立ってノリノリになった方がいいのか? というプチ葛藤をしてました。
 ま、嫁も非常に楽しんでたし、他の人も見られたからそれでいいかなと。

 ちなみに我が嫁はこういったライブのチケットを外したことがないという強運の持ち主なので、すでに来年も行くつもりでいるようです・・・。やっぱ「運」って気持ちなんですかねぇ?
 
web拍手 by FC2
2013.10.15 23:50
 こんばんわわわわ。

 連日のふざけた挨拶でごめんなさい、tkiyotoです。

 今日は関東に台風が近づいてきているということで、「日本の一大事」みたいな報道も目にしますが、しかし、関東を通り越して東北の方がよっぽど大変ですよね、真面目な話。

 真面目な話といえば、「雇用の流動化」って、ホントに効果あるんかな?って思いません?

 いわゆる「労働者」をユニット工法よろしくとばかりに、「無駄なく活用」するには最適ではあるんですが、そればっかり増やしていると、新しいものを何も生み出せなくなりますよね。今日も、その、「雇用の流動化」の最たる代表である契約社員(まぁ、私もなんですが)のPDCAシートを見ましたけど、何もプランしていないし、書いてあってもコピペだし、目標も書いてない。

 私個人としては、PDCAで全部解決できるわけないのになんでもPDCAっていうのはどうよ?って思ってはいますけれど、それはあくまでPDCAが乱発されているからであって、PDCAそのものが使えないのはそれはそれでどうかなと。

 でも、仕方ないんですよね。
 真面目に考えれば、「雇用の流動化」をしてしまえば当然、スキルが伸び続けるってことはないです。流動化しないでスキルアップしてた方が絶対に上ですからね。それと勝負して勝てるわけがない。でも、多くの企業はそれを選択してきたし、それで危機を乗り切ろうとしてきた。バブル崩壊の反動から。

 手垢のついた表現だと、こういうやり方していたら当然、iPhoneもiPadも生まれないですけど、それ以上に何よりも、「その先に何があるの?」という気がしてしまいますよね。

 「雇用の流動化」素晴らしい。便利だ。雇用に貢献している。

 でも、その先に何が? 見えるところは何もない。なにせ、そこそこの部品の流用をしているのと同じですからね。それってすなわち汎用品の作り方であり、それはつまり、汎用的な会社、つまり「他と差別化の図れない、淘汰されても仕方のない会社」になるという意味でもあります。


 そこまで未来を見据えて「雇用の流動化」を謳っていたのかは定かではありませんけど、誰にとっての流動化かを考えたら、業績が悪い会社のためのものなので、それで一時的に悪い数字を良くできたとしても、何の改善にも至らないってことも往々にしてあるでしょうね。

 真面目に考えたらわかりそうなことなんですけど、その「便利な言葉」に惑わされた経営者のなんと多いことか。ま、そういうことって、何にでも言えますけどね、「便利なものほど、危ない」。

 理由はカンタンですけどね。
 考えなくなっちゃうんですよ、真面目に。

 原発のことも、「経済が止まる!」って煽ったら、未来のこととか考えなくていいですもんね。すっごい楽ですよね。あと30年も生きられないオッサンたちからしたら、すっごい楽。でもあと80年生きなきゃならない子どもたちからしたら、すっごい苦痛だと思いますけど。

 新聞のワードになるような言葉って、便利なようで、怖さもありますよ、ホントに。
web拍手 by FC2
2013.10.15 02:10
 ああこんばんは。

 最初に「ああ」を付けるだけでなんて偉そうな表現になってしまうんでしょう? 世の中って面白い。


 さて、三連休でしたけど、何してたんでしょうね? まぁ、休んでましたよ。というか、私ぐらい働いていると三連休ぐらい、時にはないと疲れが戻らないんですよというと怒られそうなんでやめておきますが、世の中、私より働いていないのに当たり前に三連休をもらって、しかもボーナスを使って、遊んでいる人もいるわけです。

 これを不公平というかなんというかはあれですが、たいして仕事もしていないのに権利ばかり行使する人ばっかりになってしまったらそりゃ、成果の上がらない組織になっちゃいますよね。

 そう考えると日本が抱える閉塞感っていうのは、「不公平」が原因というよりも、危機感はない割に、危機になることだけを怖れて自分の身を守ることばかりみんなでしているからじゃないのかな、とも思いました。

 それは誰がというよりも、例えば正社員なら給料が下がらないようにとか、非正規社員なら頑張っても給料上がらないし収入少ないから余計なことはしないどこうとか、視点が世の中とか社会じゃなくて、自分の、だいぶ先じゃなくて、ちょっと先の未来、今に限りなく近い未来しか見ていないからじゃないのかなと。


 私は現在、閉塞感のある会社を支援する立場で働いていて、よく「なんでそんなことができる?」とか「凄い発想だ」とか言われますけど、そういうことを言ってるのがもう、閉塞感に包まれている証拠ですよね。

 本当は、長くいる人ほど、「今のダメな所」っていうのが見えてもおかしくないはずなのに、それを客観的に見る視点を「重視」しないし、それを元に分析することも愚痴の中だけで終わるし、それに基づいて利害を乗り越えた大きな行動を起こさなきゃいけないのにそれぞれが好き勝手していたりするので、ダメな所にダメな所を塗り重ねているとしか思えないようなことが生じてしまうようです。色んな所からの流れが集まって、どこにも流れない「ため池」ができているというか。

 乱暴な結論かもしれませんけど、閉塞感を打破したいのなら、内側ではなくて、外側に向かないとダメですよね。
 内側に向かっている以上、永遠にループがくり返されるだけです。そして、それを「仕事」と思っている人たちに「そんなの仕事じゃないよ」とハッキリ言うことも必要なのかもしれません。だって、何の価値も生み出していないのに、価値の代替である「お金」をもらうなんて、そもそもがおかしいんじゃないですかねぇ?
 
web拍手 by FC2
2013.10.03 01:53
 「感謝されたい」
 という人がいるらしい。

 いや、誰だって恨まれるよりは感謝されたいと言えばそうなのかもしれないけれども、とにかく「感謝」というものに飢えている人もいる。
 たとえば、ブラック企業に入ったばっかりに、毎日のように「お前はカスだ」とか「生きる価値がない」とか「給料泥棒め」とか言われ続けたら確かに、感謝というものを心から欲するようになるのも自然なことと言えば自然なことだ。

 なんでそんなに冷めた見方をするんだあんたはという声が聞こえてきそうだが、私は逆に、「感謝」されることのほうが圧倒的に多かったので、じゃっかん他人事感があるのはご了承いただきたい。

 しかし、そんな私だからこそ、「感謝される方法」というものを世に伝えることもできるんではないのか?

 ・・・と思って、記事を企画しようとしたわけですよ。
 ですがね、その時にふと思った問題点がひとつ発生。それが今回のテーマです。


 「感謝される」ためにはどうしたらいいか。

 実はそれは凄く簡単で、一生懸命働くことである。

 「そうしてるけど感謝されない」という声もあるかもしれないが、それはあなたの一生懸命が伝わらない、もしくは合わない仕事に一生懸命になっているからであって、あなたにできることが他の人のためになることで、かつ、他の人がやりたがらないことを一生懸命やれば、自然と感謝されるようになる。
 代表的なものをあげるとすれば、トイレ掃除などが良い例だろう。

 トイレ掃除に命をかける人もいるにはいるが、現実問題、トイレ掃除を嫌がる人のほうが圧倒的に多いだろう。
 しかし、そこにこそ「感謝」のチャンスがある。

 誰もがやりたがらない仕事を、率先して、しかも他の人がやるよりもはるかにキレイにすれば、必然的に「感謝」されるようになる。

 もちろんこれは、社会人のためのセオリーであって、社会も世間も人間という生き物もよく見えていない学生社会では、トイレ掃除を頑張っても感謝されないどころかむしろ押しつけられることが多々あるが、感謝の度合いが違うにしろ、感謝されないことはないと私は思う。あとはその、見返りがあるかどうかだけだろう。


 「感謝される」仕事をするには、一生懸命、目の前の事に当たるというのが成功への近道だ。
 しかし、それはそれで、ひとつの大きな問題を抱えることになる。「一生懸命」がスタートになってしまうと、お金を稼ぐことに直結しないことでも、誰かのために一生懸命やっても、実入りがないという状態が発生する。なぜなら、「感謝」はお金という形で現れるとは限らないからだ。

 あまたの(主に株で成功した)自己啓発本の多くは、「お金は感謝が形になったもの」と説くが、実際に、お金=感謝であることばかりではない。たとえば、時給800円のバイトが古株の正社員より働いて、それに「感謝」したとしても、人件費を切り詰めなければ行けない状況であれば、それをお金という形にして還元することはほとんどないのが今の労働環境だろう。

 まして今のように、3割が非正規社員という会社社会では、こういうことがしょっちゅう発生する。口では、いや、口だけじゃなく心から感謝してはいるものの、それが直、お金に繋がることはない。その為の仕組みがなければ必然的にそうなる。


 山ほどの「感謝」をもらった私が、その「感謝」に見合うだけのお金をもらってないことからすると、安易に「そうしろ」とも言えないな、スタートを「一生懸命」にしてしまうことがお金を遠ざけてしまっているのかもしれない、と思った次第であります。

 別に、感謝されたくてやってるんじゃなくて、誰もやらないからやってるだけなんだけど・・・感謝はされてもお金には結びつかない。これは別に世の中のせいじゃなくて(世の中のせいだと思うけど)、そういう事実を踏まえて、感謝をお金に結びつけていない自分が悪いんだ、ということを実感したんですよね。


 それを踏まえずに「感謝されたければ、一生懸命、事に当たれ」というアドバイスは、当たってはいるけれども、本当に「感謝」だけを必要としている人にしか有効じゃないアドバイスかもしれないな、というのが正直思ったところ。
 
web拍手 by FC2
2013.09.25 02:00
 こーんばんは。

 世間は・・・特に今、ホットな話題がないような気がしますが、そう、『半沢直樹』ですかね、盛り上がっていると言えば。もう、悪役が、重要な秘密が入ったタブレットにパスワードロックかけてないとか「こんなバカいねえだろ」というようなくらい間抜けで、「常識的」発想からは生まれない展開(←決して馬鹿にしているわけではありません)。

 でもあれですよね、大衆向け「ドラマ」って本来そういうものだろうし、そういうものを人が好きだから、昭和のプロレスの力道山みたいな「作られたヒーロー」が人気を博したワケで。

 そのことに憂いを感じることもあるかもしれないけれども、世の多くの人たちにとって、テレビドラマは文学でもなんでもないし、少女マンガの代わりでもないし、毎週日曜日の夜にやるんだから重厚な「人間とは何か?」というような問いをもたらす骨太のドラマになるのは喜ばしいことではない。

 そう考えると、「明日は仕事」という人が多い中にあって、「クソ上司に倍返しだ!」というテーマの半沢直樹は、翌日、休日明けで会話を交わす人たちに、話題を提供するという意味でも、やる時間帯はよかったし、豪華キャストを使いながらも、揶揄される意味合いで使われる「マンガのような」内容が、人々の「世の中への不満」を消化させる役割を担ったのだろう。

 それが正しいか間違っているかというのは、実は地味にわかりづらいことであり、また、それを議論することも意味がない事でもある。

 確実にわかっていることは、世間は「わかりやすいわからないもの」を求めてるのであって、「わかりにくいわからないもの」でも「わかりやすいわかるもの」を求めてるわけではない、ということ。
 それはある種、エンターテイメントの重要な要素であり、しかし以外と忘れられていることでもあるかな、と思った次第であります。


 ただ今後は、そういった作品論をわかってないビジネスマンの意向に従って、やたら同じフレーズを繰り返したりとか、上司と闘ったりとか、別業種で同じような内容とか、半沢直樹の二番煎じ三番煎じの作品がたくさん出てくるんでしょうね。
 それこそ、「10番煎じだ!」というくらいまで。

 それはまぁ、平和ってことですけど、そういうのが積み重なるから、半沢直樹に出てくる、自分は正しい、文句があるなら証拠を見せろ、というような自分のことしか考えない「悪人」が出てくるんでしょうね。
web拍手 by FC2
2013.08.29 01:01
 今朝、電車に乗っていた時のこと。
 夏休みなので扉の前に小学生の女の子が二人がいたのですが、その前に立ちながらメイクしているOLが。まぁ、まぁね、いますよね、メイクする人。たとえ小学生の前であっても、やる人はやりますよね。

 でも面白かったのが、その光景を小学生がずーっと見ていたこと。「私はあんな風になりたくない」と思ったかどうかはわかりませんが、駅について扉が開いても、人が言わないとどいてくれなかったりするそのOLを見ていた小学生は、「ちょっと、近すぎじゃね?」というぐらい近づいてそのOLを見てるじゃないですか。親子?ってぐらい近く。

 それでも委細かまわずOLさんはメイクをしているのはきっと、余裕が全くないからなんでしょうね。
 私も、メイクとかよりもなによりも、シャツの袖のやや後ろ面に穴が空いていたこととか、シャツの襟元がヨレヨレなのが異様に気になってしまいました。

 「電車でメイク」というのは「美しくない行動」の代表格ですが、それでも立ちながら(しかも結構揺れてるのにも関わらずふんばって)、小学生に間近でガン見されながらでも、メイクを必死にする光景は、知らない世界の人が見たら「彼女はメイクをしないと死刑になるの?」というくらい不思議な光景でした。はい。

 まぁでも、なんでもそんなもんかもしれませんよね。
 ユーザーサポートが悪いのに「なぜ売れないんだ?」とかいう企業とか、市場が縮小しているのに拡大路線をやめないで「数字が伸びない!」といってる企業とか、店員の質が悪いのに酷評した出版社を訴える企業とか。俯瞰的に自分を見られる人になることって大事ですよね。

 とくにこんな夏休みは、どこで未来の大人たちが見ているかわかりませんから。
web拍手 by FC2
2013.08.24 02:35
 24時間テレビ直前スペシャル版、『嵐にしやがれ』を観ましたよ、ええ、先週の。

 なぜか要潤が讃岐うどんネタで登場し(※ここでいう「なぜか」は24時間テレビとの関係性についてであって、要潤がうどん県副知事であることではない)、その次に森山直太朗が登場。最近、オネエ疑惑があるけれど、ついつい人前でだけやってしまうが、実際はノーマルだとか、そんな話のなか、いい歌を即興で作ってしまう(けど本人はいつも満足していない)というネタが。

 森山直太朗といえば、最近はファンケルのCMが有名かもしれませんが(私は人に言われるまで森山直太朗だとちっとも気づかず、ファンケルの歌のうまい社員だと思っていました)、やはりそこは森山直太朗。24時間テレビでマラソンをやる、森三中の大島美幸の応援ソングを即興で作るという話になって、1時間半くらいで即興で作った歌は、「タピオカミルクティー」とか「ノーリバウンド」とか出てくるのに、なぜか聴かせる歌になってました
 
 そこで思ったのが、ケネス・ヒルデブランドの「人は、自分の才能を悪しき目的に使ったためでなく、まったく使わなかったことに責めを負うべきだ」という言葉。

 単に歌がうまいというだけじゃなくて、人の心の琴線に触れられる歌を歌える人は、やはり歌を歌うべきなのだなぁと思った。


 それは、どんな仕事でも言えることで、それが「やれる」以上はやはり、やらなきゃいけないのだ。

 私も、なんやかんやと新しい仕事が舞い込んでくるのに対し、お金がまったく増えないという状況について、色々と暗い方向に考えてしまいがちだが、やはり、これも下積みだと思い、自分が必要とされている以上は、「ここにいてはいけない、もったいない」と言われるまで、精一杯仕事するしかないのかもしれない。

 実際、これまでもそうしてきたし、きっとこれからも、そうしていくのだろう。

 そうやって本当に道が拓けていくのかどうかはわからないけれども、少なくとも、私の書いた文章で誰かの人生が好転するのならば、私もきっと、文章を書かなければいけないのだと思う。その形が果たして、路傍に咲く花のように多くの人に知られずに、気づいた人だけにしか意味のない存在になるのか、それともまったく違う風になるのかは自分の行動次第だと思うが、とにかく、その才能の大小はあれど、やはり人は、その才能を使うべきなのだというのは疑いようのない事実だ。


 確かに、才能を悪用する方が、才能を使わないことより悪い感じはする。

 だが、世の中とは、大きな意味では「よき方向」に自然と流れるようになっているものだ。
 それは別に神がそうしているからとか、そういうことじゃなくて、人々の生活が継続し、歴史を紡いで来た行動プロセスがよかったからこそ、それを「よき方向」と人々が価値感づけているだけだ。

 だから、才能を使うことは、悪しき方向に使ったとしても、それは必ず「よき方向」への見えない力が働き、その悪しき方向を正そうとする人や動きに洗われていくのだ。
 もちろん、それがそのまま行くかもしれないし、手遅れな人もいるだろう。

 だけど、「よき方向」に流れる時の河は、そういったものも飲み込んでいくのだろうと思う。


 原発でどうとかこうとかあるけれど、東日本大震災で福島よりも震源地に近かった女川原発は、「未曾有の大洪水」の歴史に学び、そこまでする意味があるのかという周囲の反対もあるくらいの安全性を盛り込んで作られた。

 かたや福島は?

 その結果は、皆さんの知るところで、福島は収集がつきそうもないのは、それに携わった人たちが、「自分のすべき仕事」に最大限の努力をしなかったからだろう。もちろん、今、福島で作業している人たちが最大限の努力をしていないかといったらそんなことはないのだろうが、起こる前に精一杯のことをやっておかないと。起こってからでは手遅れなのだ。

 そういった意味でも、「才能を使わなかったことに責めを負うべき」というのもうなずける。

 その結果として「悪しき結果」を生むことになるのだから。
 そしてそれは、悪いことしか生み出さない。
 
web拍手 by FC2